郷里の過疎の街路に暮らしていて

少子高齢化がクローズアップされて二度と20世代以来が経過した。現代は何とも超高齢人前を迎え、住所では地方自治体人口の半分以来が65年齢以上の部位も発生し、将来的に消滅してしまう街角とさえテレビジョンでは報道されている。
満杯集落では無いにせよ、私の暮らす街角も少子化は顕著で高齢化は甚だしい。ちっちゃな大字で生活をしているのだが、空き家が目立つ。
昭和40層には児童が溢れ、ちっちゃな集落も活気に満ちていた。田畑に囲まれてはいるが、少ないながらも建物は密集して人々の本音と服装がしょっちゅうそこにはあった。
夜更け、集落の中を散歩すると燈火の見える住宅と陰ながら暗く鎮まりかえる住宅が共存している。燈火の乏しい住宅は空き家である。
空き家の主はもうこの世にはおらず、子供たちは都心へと居を移しているのだ。子供たちと言ってももはや辞職前と思わしき層である。
都心へとつながる路線バスは休線と言う呼び名の廃線になり、お婆さんたちはたとえ運転する車に乗れなくなった時に足を失う。住み慣れた田園を出る時にも異議があり、子供たちも親を引き取ることは稀で、住所ではシーンにそぐわない整った老人ホームが待っている。
住所分権、住所創成という美辞麗句は本当の住所には届かない。そういう田園で歯をくいしばる我らを今宵の月々が手厚く照らしている。福岡には、税理士事務所が多数あります